旅ネタもそろそろなくなってきたこの頃。この間実家に帰ったときにたまたま見つけた旅日記を載せていくこととしよう。7月19日に日本を発ちタイ‐カンボジア‐タイ‐アラブ首長国連邦‐バングラデッシュ‐タイ‐マレーシア‐シンガポール‐タイ‐ラオス‐タイと旅をしたときの旅日記。
前書き: 僕は海外一人旅をはじめて最初の頃は毎日日記を書いていた。その日に行ったところ見たもの感じたもの思ったことを1時間も2時間も書きなぐってきた。あれは2回目の旅でのこと。2002年1月26日から2002年4月4日までタイなどを旅していたときに僕は毎日日記を2-3時間かけて書いていた。旅は無常にも、意思とは逆に時が過ぎればなにも残らないし忘れていくもの。それを日記という形で必死に残そうとしていたのかもしれないし、ただ暇だっただけかもしれない。しかし、3月12日、その日記は僕のバックパックとともに突然手元から消えた。つまりは盗まれたのだ。場所はカオサン通りの某ゲストハウス。その後も何度となく郵便局近くのそのゲストハウスの前を行き来してきたが、あの場所を通るたびに旅の失敗を思い起こす。結局旅日記も旅を重ねていくうちに書かなくなってしまいました。
さて、今日はそんな旅日記・アジア編の1日目を綴るとしよう。
7月19日 1日目 @千葉・津田沼-バンコク
朝6:20に目が覚めた。このところ眠りが浅いのかやけに体が重いなと思いつつバッグを背負い、世話になったヒデ(友人)の家を出る。バッグを背負うとやけに気合が入る。出発前日だっていうのにヒデは夜遅くまで寝かせてくれなかったなぁ。。旅の前日友人の家には泊まるべきでない。いざ電車を乗り継ぎ成田へ。一言「不便だ:」遠い。。
(機内にて) CI107とCI695で成田-台北-バンコクをフライト。成田-台北線は搭乗率5割ほどで隣の2席には乗客が居なくて椅子3つ使って横になる。気分はファーストクラスより上だ。バンコク・ドンムアン空港では彼女のオーが待っていてくれる。気持ちが高ぶる。
(到着後) 出口を出ても一向に彼女が姿を現す気配はなし。【ここはバンコク、時間はあってないようなものだ。】と、自分に言い聞かせながらトイレを探す。これからが罠にまんまとはめられたのだ。トイレは2階にあることを知り、とりあえず2階へ。すると目の前には今年の3月の旅で一緒にタイのノンタブリーを旅した彼女の友達・リーともう一人。久しぶりの"偶然"の再会をかみしめる暇もなく"オーはどこ?"と質問する。すると手紙を渡されこう記してあった「今日はテストがあって空港には行けなくなった。怒んないでね。」と。残念に思いつつも代わりに友達が迎えに来てくれたことに大感謝。そして「下に車があるから」と言われ、言われるままに付いて行く。そしたら彼女の友人・リーが「彼女に電話を掛けるからそこの椅子に座って待ってて。」と言うので僕はただ椅子に座り、目の前の電話ボックスを眺めていた。そこにあった椅子は全部で10個くらいで、真ん中にガタイのいい中年のおばさんが、そして奥には
西欧人らしき女性が新聞で顔を覆いながら読んでいた。電話ボックスを眺めながら席に座りつつも奥に座る女性の視線が少し気になりだしていた。「さっきからちょくちょく見られてる、なんか変だ。」と思った瞬間、その女性がラグビーのタックル張りに俺に突っ込んできた。それはまぎれもなく俺の彼女・オーだったのだ。久々の再会を演出してくれていたのだった。しかし自分の彼女を西欧人と間違えるとは・・・彼女の顔はどこから見ても中国人だ。そして久々見た彼女の顔はとてもかわいくて少し驚いた。タイと日本で離れ離れに暮らすこと4ヶ月、ずっとE-MAILだけが僕らをつないでくれていたのだ。その後再会を喜び合い空港を後にし、彼女の友人が運転する車に乗って海沿いのシーフード店まで行き、すこし豪勢なディナーを楽しんだ。
(彼女の家にて)今日泊まったのは前回の旅からお世話になっている彼女の実家。彼女の部屋で二人くつろいでるところをかの怖いお父さんに見られ背筋が凍る。。バンコクはこれがあるから怖くもあり面白くもある。こうしてこの先何が起こるかわからない旅がはじまった。