今晩日本に帰ってきました。経由便あわせて6日間で6本のフライトを飛んで
タイとマレーシアへ出張してきました。ブログなので仕事のことは割愛して、
1.行きの広島-台北のフライトでは空の上から世界遺産・厳島神社の鳥居を眺め、
2.台北-バンコク間のフライトでは機内で映画『タッチ』を見ながら目に涙を浮かべ、
3.バンコクの空港で再会するだったはずのオーは空港から電話をすると、
「家に居る」とツレナイ回答、で、しょうがなく気を取り戻してサーヤムで再会し、
4.新しくできたサイアムパラゴンでオーの旧友とも久しぶり(2年ぶり)の再会、
5.ホテルに荷物を置いた後、なぜかオーの実家に向かって家族みんなに挨拶し、
6.バンコクのステートタワーにある
シロッコに行くも予約でいっぱいとのことで、
となりの
distilで食事をしながら思い出話に花を咲かせてきました。
1日目はこんな感じで、2日目からは真剣に仕事に取り組んで
あまりタイだから・マレーシアだからとか関係なく過ごしました。
ただとにかく両国とも暑かったです・・・34℃とか。
滞在中、なかでも嬉しかったのが最終日にバンコクのスクンビット通りを歩いてた時
偶然にも大学の先輩と再会し、今回連絡を全然取ってなかった知人と会えた事と、
2日目に「会いたいからホテルに行っていい?」と夜11時にタクシーに乗って
20km以上も離れたホテルに来てくれたオーの行動というかその気持ちでした。
恋に進展なんてひとつもなかったけど、このままの関係でいいやって思えたこと、
今やるべきことは早く仕事を覚えて、バンコクでの仕事も自分次第でどうにでもなる
というやりがいを見出せたところが今回の成果かもしれないです。
やっぱりどうしてもバンコクでの仕事以外のことを書こうとするとオーのことばかりに
なっちゃうけど、なんだかんだいって一番楽しんでるのがぼくのような気がします。
幸せな気分も悔しい気持ちもどうにもなんない歯痒さも、でも近くに居ると気付く
好きという気持ちもすべて全部のことを知ったうえで普段どおりに接してくれてる
オーにはほんと感謝ってところですね。言葉にしなくてもわかってくれるところとかは
ほんと元カノとかそういうの抜きにしても心を許せる相手というか大切な人だと感じます。なんかまたかわいくなってたから悔しい><;っていうのはウソですが、
心配していた病気が良くなっててほんと安心しました!
世界遺産シリーズ9作目は中国の北京にある『故宮』でいってみます。



故宮の思い出といったらとにかく寒くて、3枚目の写真とかは故宮を眼下に眺めれる景山公園から撮ったのですが霧で曇っててイマイチ見えず残念な思いをしました。。また故宮で売ってた羊肉串を食べてたときにお気に入りのパーカーに染みをつくり、今でもそれが消えずに残ってるとか。。なんか建物が大きかったなという思い出が残ってますが、すでに微妙です。。
さて、あさって5日から10日までタイ・マレーシアへ出張いってきます。
出張中はブログ更新できませんが、どうか見捨てずまた見てやってください。
バンコクでは今のところ1人とアポとって忙しい時間をぬって会ってくる予定です。
乞うご期待!っていいたいところですが、仕事ですのであんまりネタは持って帰れないでしょう・・・。ではまた。
世界遺産8作目はぼくが一番好きな国・タイの『アユタヤ遺跡』をお送りします。これまでアユタヤは計3回訪れました。1回目が初めて海外を旅したタイひとり旅のとき。このときはカオサンで出会った大学生2人と一緒にアユタヤを訪れて、ベッドがトリプルのGHに泊まって、日中炎天下のなか自転車で遺跡を廻りました。2度目・3度目は元カノとでした。ではアユタヤ遺跡を写真とともに綴ってみましょ~



アユタヤといえば1枚目の写真のようなオレンジ色のレンガのイメージと旅行パンフで定番の仏頭、そして写真は2基しかありませんが3基並ぶワット・プラ・シー・サンペットが有名です。タイの世界遺産はほかにスコータイ・バンチアン遺跡・トゥンヤイ-ファイ・カ・ケン野生生物保護区がありますが、これはいずれも行ったことはありません。タイは世界遺産じゃなくても綺麗な景色がたくさんあり、世界遺産にこだわらなくても十分満足できちゃうすっごい国なのです!あ~住みたい。実は今日、そんなぼくの愛するタイに出張することが決まりました☆仕事のことは書かないポリシーなのですが、5日から10日までタイ・マレーシア行ってくるので写真はばっちり撮ってこようと思います!
さて今日の世界遺産は昨日のTBS世界遺産に触発されて『エルサレムⅡ』としてエルサレム旧市街をUPしたいと思います。久々自分の行ったことのある世界遺産が放映されて、それも一番最近いった旅で見てきた風景が映し出されいたので食い入るようにテレビを見てました。一緒にエルサレムを旅したよしさん!!昨日の『世界遺産』は見ましたか??
さて今日はイエス・キリストが十字架を背負いゴルゴダの丘へと向かったという
Via Dolorosa/ヴィア・ドロローサをお送りします。ではいってみましょ~

イエスが処刑される日に通った道がここヴィア・ドロローサです

イエスが死刑を宣告され茨の冠を被された教会

イエスが十字架の重さに耐えかねて初めに倒れた場所
実は14あるポイントのうち写真があるのがここ3まで。では何故か?-
写真撮ってもなぁ~と思ってやめてしまったのが理由のひとつ。
そしてデジカメのバッテリー切れによるぼくの写真意欲の減退がもうひとつ。
この目で見たからOKっしょ。
このあとイエスはマリアに会い、そして何度か転び、壁に手をつき、泣き崩れる女性にこう言ったという『エルサレムの娘たちよ、私のために泣くな。むしろあなたがた自身のため、また自分の子供たちのために泣くがよい---』、うんいい話だ、そして十字架に釘打ちされやがて息を引き取る・・・そして聖墳墓教会に葬られ現在でもその教会内にはイエスのお墓があり、ぼくも例外なくそこを訪れましたが、たしかイエスは復活したんだよね?じゃあこの墓には居ないじゃんとひねくれ発想ここで爆発!しかし昨日のTBS世界遺産でイエスは昔ユダヤ教徒であったこと、ユダヤ教の祭司のココロの腐敗を端にイエスはキリスト教を説いたこと、弱いものこそ救われるとの教え、イエスはユダヤの人の手によって処刑されたことを知りました。そして重要な事が、これが後にイエスのキリスト殺しというユダヤ人迫害の材料の一つになったことを先ほど文献を探す中で知りました。今更になってですがなるほどなと納得。
世界遺産紀行7作目の今回は、カンボジアの『アンコールワット遺跡群』です。これまでアンコールワットには2度訪れました。1回目は元カノと、2度目は大学の友達と。3度目のアンコールワットはぼくが30歳の2月24日に行ければ、元カノと交わした遠い日の約束を果たせることになります。さて30歳の自分は何をしてるんだろう?!たぶんアジアのどっかで頑張っていることでしょう。願わくば人生の伴侶を得て日々幸せを感じられていますように・・・ ではアンコールワットいってみましょ~。

暗闇がやがてオレンジ色に染まり、東の空に悠然と日が昇る光景は圧巻でした。

個人的に好きなのがこのバイヨン。なんだか落ち着ける場所なんです。

バイヨン遺跡で出会った彼は袈裟を羽織った普通の少年のようでした。

これから5年後、写真の2人のようにお互い肩を並べて2002年に1度誓った約束を2人して果たすことができていれば、今こうして抱える苦悩や我慢も無駄じゃなかったと笑顔で思い出せることでしょう。ただ約束が果たせなくともいつかまたぼくはアンコールワットを目指します。2002年に肩を並べいろんな夢を語りながら一緒に見たプノンバケンの夕日を見ながら「これまでいろいろとありがとう。幸せだったよ。」と自分の気持ちに整理をつけるために。。。 これからもお互い幸せになろうね。
今日世界遺産シリーズ6作目に登場するのは、広島の『原爆ドーム』です。
縁あって実家の群馬から遠い広島の地に転職してきたのが去年12月のこと。
現在は研修で大阪に住んでおりますが、3月からはまた広島の地に戻ります。
ではさっそく写真とともにいってみましょ~う。

思ったより小さかった原爆ドーム、最初は路面電車の中からその姿を見ました。

この原爆ドームは世界にも数個しかない<負の世界遺産>と言われています。

原爆投下から60年強、まわりは近代的なビルが建ち並び、そこだけ取り残された、いや人々の手で残すよう努力された雄姿がありました。原爆資料館も必見です。
シリーズ5作目の今日は、中国の世界遺産の代名詞・『万里の長城』です。
北京は大学3年の2002年12月に、大学の親友・門田君と旅してきました。

雲ひとつない晴天に恵まれて、2時間程長城を散策してきました。

この壁ひとつひとつを昔の人が汗水たらして作ったことを思うと、、
もっと感慨深く見ておけばよかったって今更ながら思います。笑
今日お送りするのはバングラデッシュの世界遺産・
『バゲルハットのモスク』です。
ぼくがここを訪れたのが2年半前の2003年8月、大学3年の夏のことでした。

世界遺産であるにもかかわらず観光客は0人。物乞いの老人がゲートで喜捨を求めてた以外は閑散としたモスクでしたが、周辺にはたくさんのモスクが建ち並び、

モスクのすぐ横にはガート(溜め池)が広がり、現地の子供が池に釣竿を垂れていました。言葉は通じなかったけど、一緒に釣りをさせてもらってぼくなりに交流できたという実感を得られたのは旅の財産だったと思います。
そこではすごくゆったりとした時間が流れていました。
バングラデッシュの旅に関しては
<こちら>に綴っておりますのでご覧ください!
今日お送りする世界遺産は、中国の雲南省にある「麗江旧市街」です。
ぼくが雲南省を訪れたのは2004年4月、バンコクへ留学中のときでした。

麗江には未だに象形文字のトンパ文字が残り、それを守り継ぐのが彼ら納西(ナシ)族です。トンパ文字は世界でたった一つ、最後の象形文字と言われています。

狭い地域に肩を並べるようにして建つ瓦屋根の家々は800年の歴史があるという。

麗江旧市街を望む5596mの玉龍雪山、頂上の雲が切れることは1年を通してほとんどないという。GHのお母さんがいい写真じゃないと褒めてくれたのを覚えている。

麗江では納西古楽演奏会を鑑賞・100元/1300円。ぼくはなぜか中国の文化的な催しには足を運んでいるようだ。中国の京劇・雑技団、そして古典音楽会と。

麗江に限らず今中国の観光地は漢民族で溢れるようになった。ぼくがGHで一緒に麻雀した中国人は天津からカップルで来ていたし、お土産屋で仲良くなった中国人は上海から夫婦で来ていた。まだしばらくは中国の旅游ブームが続きそうだ。
今日お送りするのは韓国のソウルにある「宗廟(チョンミョ)」です。
ぼくがこの世界遺産を訪れたのは2003年1月13日のことでした。

李氏朝鮮が王家の先祖を祀った霊廟では歴代の王が眠っています。

世界遺産の割には観光客も少なく、ひっそりとそれは佇んでおりました。
このほか韓国の旅に関してはこちら
「旅ネタ 韓国編」で綴っております。
今年のG.W.にはまた世界遺産を訪れるべく友達と2人旅を計画中です。
今日からシリーズでお送りしようと思う「私の世界遺産紀行」では、
これまでぼくが旅してきた世界遺産を写真と共にUPしていこうと思います。
1回目の今日はイスラエルの「エルサレム旧市街」をお送りします。

1枚目はエルサレムの代名詞、ユダヤ人が旧約聖書の祈りを捧げる嘆きの壁。

2枚目はユダヤの聖地・神殿の丘にそびえるイスラム教の聖地・岩のドーム。

3枚目はエルサレム旧市街に広がる日常の1コマ。多民族が行き来する空間。
昨日のTBS世界遺産をご覧になられたでしょうか。
ご覧になった方は上の写真の風景が映し出されてたかと思います。
実はこのエルサレム旧市街のユネスコ世界遺産申請はヨルダンがしており
今でもまだ所有国が決まっていない世界で唯一の世界遺産なのです。
ぼくがここエルサレムを訪れたのが去年の11月のこと。エルサレムで一番思い出すのは一緒に旅したYoshiさんという優しい先輩で、一緒に歩いたエルサレム旧市街の映像をテレビで見ながら改めていい出逢い・いい旅だったなと思い返しました。
平日は仕事、週末は友人と遊ぶ。大阪に来て早1ヶ月が過ぎたけど
お陰様で今週末も予定が埋まってすこぶる大阪滞在は順調です!
金曜日:大学の友達と難波で3年ぶりの再会。
大学の寮で2人部屋の相方だった友達は
当時から語っていた学校の先生の夢を叶え
大阪の地で小学校の先生をしておりました。
一緒に通天閣周辺の新世界にて串カツを堪能。
そこには大学時代は想像もできなかった
時間が流れておりました。
すごく楽しい時間を過ごしてきました☆
土曜日:大学の友達と難波で2週間ぶりの再会。
大学のClubで一緒だった友達は大のアジア好き♪
これまでベトナムとバンコクで会ったことがあり、
この先もどっかアジアの街で再会できそうな予感☆
今日はタイ料理屋さんをハシゴしてきました!
これまでカンボジアで仕事をしてきた彼女は
最近働き始めた職場でも必ずや必要とされる人になることでしょう。
「今度実家にでも。」なんて気さくに誘ってくれるあたり、
やっぱり大学時代に得ることのできた最高の友達です☆
日曜日:大阪で知り合ったタイ人の友達と昼食&夕食へ。
最初USJに誘われて一度OKしたものの結局食事に変更。
明日も難波での待ち合わせになりそうで、
これでJR難波での待ち合わせは3日連続☆
さぁ、明日もタイ語の練習だー!
と、ざっと書いただけでも大阪での充実さが伝わるかと思います。
大阪での週末も残すは来週の1回のみ。是非ご連絡お待ちしております@^^@
スノボーのお誘い大歓迎です!5シーズンぶりに行きたくてたまりません!!!

ぼくにとって2月17日は特別な日なのです。過去2002年、2004年とバンコクで過ごしました。2002年は旅で、2004年は留学で。写真はバンコクのシーロム通り。
2002年2月17日(日)大学2年の春休み-あるひとりのタイ人との出会い。
当時ぼくは2度目のタイ旅行中でバンコクにアパートを借りて住んでいました。日曜ということもあり近くの銀行が開いていないため、ぼくは都心のシーロムへ日本円を両替しに出掛けました。(ちょうどこの前日にバスで財布を落としてしまい、タイバーツがほとんどなかったのです。のちバス会社から電話があり財布戻ってきました!奇跡。)そしてバーツも手に入れたという事で早速日本の友達にメールしようと思い、一軒のインターネット屋さんに入ったのです。奥のほうに座ってたひとりの女性が「Pls use that one.」と言ったかは忘れましたが使っていいPCを教えてくれました。『なんで日本人がこんなところで働いてんだ?』ぼくの最初の感想はこれでした。その女性はタイ人で大学で日本語を学び始めたばかりの女子大生、名前はオーといいました。そうです、のちのち彼女となるオーにここで初めて出会ったのです。
あれから4年-。今ではお互いの関係こそかわってしまったものの、2人ともこの日は忘れておらず、昨日17日には電話で話をしました。昨日メールももらっててそのなかで「これから仕事で日本語を使うことになりそうだよ。お客さんが日本人になりそうなの。よーすけにいろいろ教えてもらわなくっちゃね。」と書いてありました。僕自身も来年くらいにはバンコクでタイ人相手に仕事を始めるのでタイ語が必需となり、オーのHelpを必要としてます。 【言語が2人のミラクルを起こしたら・・・】 たまには淡い幻想を抱くのも悪くないかなって思いました。そしてしばらくのあいだこの奇跡を信じていようと決めました。ほんと今すぐにでもバンコクへ行きたい。迎えに行きたい・・
今ならまだ間に合う気がしてんのに。ほんと。だから・・・ でも。。

G.W.はこの風景のある国に行きたいと思っております。航空券は約10万円してます。この価格はヨーロッパのローマ・アムステルダムと同じ価格。。オーストラリアはケアンズ・シドニーとも同じ価格。アメリカはニューヨークとも堂々の同価格帯。。今回はPass?!早速博多-釜山間のビートル(高速船)の空席状況を調べる俺。空席残りあと僅か・・・バンコクも釜山も遠いなぁ~ 2006年は我慢の年なのかも。

写真のようにラオスを流れるメコン川は緩やかだ。その静寂を切り裂き、轟々と音を立てて北上するのがラオスの名物(?)スピードボート。それはまるで20ドルそこそこで7時間も楽しめちゃうラオスきっての大アトラクションのようだった。ぼくがこれに乗ったのは約4年前の2002年3月。が、残念だが写真が残っていない。。船の一番前に陣取って大声で歌を歌ってた自分の写真はこの4年間という月日のなかで知らぬ間にぼくのPCから消えてしまっていた。僕がこの船で旅をしたのはルワンプラバーン-フエイサイ間。ちなみに下の写真は途中で昼食をとったパークベン。

一緒に船に乗り合わせたラオスの山奥に住む山岳民族の彼らは、家も道さえもありそうにない辺鄙なところで途中下車していった。今こうして日本に住むぼくとラオスに住む彼ら。同じ2006年という時間を過ごしているのを少し不思議に感じた。
このあいだの日曜日、タイ人のともだちと神戸に行ってきました。海からの風がめちゃくちゃ寒くてハーバービューもちょこっと見てすぐレストランに入ってしまいました。神戸のベイエリアは横浜よりだいぶ寂しいものに感じましたが、入ったイタリアンレストランのパスタとピザはおいしかったです。 まるで小学生の日記みたいです・・・
あと題が国内旅行っていう事なので、最近はめっきり温泉に行かなくなってしまいましたが、毎日のお風呂が楽しみなのです!というのも、近所の薬局で「宿場の湯」という10個入り400円の入浴剤を買ってきて、今日は「箱根♪」今日は「道後♪」今日は「草津!」って毎日バスタブにお湯を溜めては温泉気分で浸かっているのです。なんだか歳を疑われそうだな。。でも日常で小さな幸せを見出すことは大事だもんね♪
先週の土曜日ぼくは大阪駅のCafeで無線LANを楽しんでいた。
果たしてコーヒー1杯で何時間居すわってしまったことだろうか。
いつもはAirHを使っているので無線LANの速度は快適そのもので、
気分良くネットをやっているそのときでした。
「あれっ?!あの着信音が鳴っている!!」
それはもうしばらく聞くことのなかったYUKIの♪「JOY」。
電話の先はそう、バンコクにいる元カノのオーでした。
実は前日、ぼくは道頓堀のカニ道楽を臨むスタバから
オーに電話を掛けてました。病気になって2週間、
「暇してないかな~、副作用は大丈夫かな??」と
いつも心配していたけど、電話するのは控えてました。
でも元気にしている事、日曜日から出社できる事を知り、
ぼくは自分のことのように喜んでその気持ちを伝えました。
正直何ヶ月も家で安静が必要と思っていた僕の心配は
いい意味で杞憂に終わりました。<タイゆるいな~>って思った。
その翌日に掛かってきた電話。
いいほうか、悪いほうか、電話に出る瞬間にも
いろんなことが頭を駆け巡りました。
内容は嬉しい事でした。思わず笑顔になりました。
日本語で、
「今日よーすけといる夢を見たよ。嬉しかった。」って。
凛とした仕事の帰り道、東の空にまん丸と輝く満月が浮かんでいた。
「人生は短いのかな、俺はこれでいいのかな。」なんて人生を考えた。

旅の思い出を続けて綴ると日常のことが書きたくなり、日常ばかりを綴っているとネタ切れで旅の思い出を書きたくなる。そんなことを想いながら今日も「何書こうかなぁ~」と、ひとりPCと向かい合う。最近は恋愛のことは書くのを控えようと思うものの、事実ぼくが現在一番嬉しく感じてることもこれだったりするわけだ。あくまで片思いだけど蒔いた芽が出そうになる瞬間、ぼくは幸せな気分に包まれる。
がらっと内容は変わりますが右の写真の風景を見たことはありますでしょうか。
先日仕事で向かった会社の目の前にどこかで見たことある風景が。-昨年4月25日、ぼくが長野の家で「悲惨な事故が起こってしまった」とニュースを見ていた福知山線脱線事故のまさにその現場でした。先週この路線に乗る機会があり、心の中で手を合わせてきました。
書きたいことがたくさんありますが、まとまらないので次また書きます。
「俺の人生は幸せなのかな?」なんて思う前に、
「俺はまだ努力が足りないな」って反省しました。

書き込み@大阪駅のCafe「X-Time」より。globeの「feel like dance」を聴きながら make a rut in a mind - travel bulgaria Vol.3 いってみましょ~
「ブルガリアの首都・ソフィアの街を歩いています。中世を思わせる建物が目の前を通り過ぎていき、狭い路地にプジョーやBMWなどヨーロッパの車が秩序よく駐車されています。道ですれ違うブルガリア人は東洋人のぼくにちっとも興味を示さず、ちっとは俺を見て!なんて気さえしてきます。地図も持たずただ気の向くほうへ、どこにいくのかもその先に何があるのかも知らず、ただ小雪の舞い散るこの街を彷徨い続け、そしてこう実感するのです。-『俺、旅してるんだ』、と。」ところどころで何気ない風景をカメラに収めていく。こんなのがぼくの旅のスタンスなんです。上の写真はそんな状況下で撮った八百屋さんでの1枚。

「ちょっと歩き疲れたときは決まってCafeに入ります。ゆっくりできて疲れもとれて一石二鳥、いや、コーヒーも楽しめるので三鳥、もしくは三乗かもしれません。」
よくわかりませんが。。
ここで1杯30円弱のコーヒーを5杯頂きました。
そして本を読みながら親に絵葉書を書きました。
かーちゃん、内容パクっちゃった!ごめん><!!
そして訪れたソフィアの夕暮れ。


ブルガリアの首都・ソフィアの街はとても中世ヨーロッパを思わせる建物が、石畳が、そして雰囲気があり、それは同時に旧共産圏の遺産を思わせるのに十分な街並みであった。その街を色とりどりに飾るブルガリア語はほんと「文字化けの世界」でこれがまた旅情をかきたててくれた。

街を歩く人々の顔はこれまでぼくが旅してきたアジアンとは一線を画し、女性に限ってはまるでモデルが歩いているようだった。一日歩き回って「おぉー」と思ったこと数え切れず。。 (ほんとうは。。どころか!!にしたいくらい) じゃあしとこ。はい、数え切れず!! 今日の最後の写真は適当に教会で撮った写真をパチリ。

Vol.3へと続く。

毎日寒いですね。ここ大阪は雪にこそならないものの毎日寒い日が続きます。寒いといえばぼくの財布の中身だけでなく去年11月に行ったブルガリアのソフィアも相当の寒さでした。おそらく-10℃を下回ってたのでは。。さて、今日から旅の写真のストックをちょっとずつUPしていこうかと思います。少しのあいだお付き合いください。
ブルガリア - 「おれ、ブルガリア行ったんだ。。」
なんか改めて思い返しました。中東の旅の中でまったく行く予定のなかったブルガリア。トルコのイスタンブールがトルコのいい位置に位置してたためにカバーできたようなものでした。ぼくはバックパッカーでアジアなど十数カ国を回ってきてはいましたが行き先の情報を何も知らずに行き当たりばったりで向かった国はブルガリアが初めてでした。行く前は<通貨はユーロだろうな?!>と思ってたくらい。(ほんとはレバ。)

飛行機でトルコのイスタンブールに着いたその足で向かった長距離バスターミナル。「どんなところにバス出してるんだろう?」との好奇心から訪れたバス会社の窓口でぼくはしばらく悩んでいた。目の前に提示された『ブルガリア行き/価格20ユーロ』のバスチケット。5分程悩んだ末、ぼくの出した答えは「Ok. I'll take it!」でした。
そしてチケット購入3時間後のpm17:30、ぼくはイスタンブールを後にした・・・つづく
こんな感じで旅してきたブルガリア編をしばらく引っ張ってみようかなと思ってます。
(ちなみに上の看板はバスターミナルとはなんら関係ありません)
ブルガリアの旅のことはすでに
こちらでも綴っておりますのでご覧くださ~い♪

まずはこの写真をご覧ください。 → →
ざっと見どこにでもありそうな日本の都会の風景ですよね。
今日はこの都市と首都圏・横浜・千葉が舞台です。
何の話しかというと今日2/6付け日本経済新聞の記事でぼくが一番気になった記事をUPしてみようと思います。ぼくのBlog読者の方はみんな日経新聞を読んでいる、かはわかりませんが、「バイク便大手のバイク急便が4月より中国の上海郵政全日送物流配送公司と提携し、上海市内への小包当日配送サービスを始める」というのです。どういうことかというと、「バイク急便のドライバーが荷物を集め、自ら成田国際空港発の旅客機に搭乗して、上海の浦東国際空港まで運ぶ。空港到着後は、上海郵政全日送物流配送有限公司のスタッフが荷物を受け取り、目的地に車で配達する」というもの。つまり人的作戦な物流ロジスティックの確立なのです。僕はあいにくバイクの免許を持っていないのでこのような仕事をすることはできませんが、もし上海、バイク、旅、成田空港が好きな人がいらっしゃったらこの会社に問い合わせてみるのも面白いのではないでしょうか。ちなみに1回の小包送料は9万円~17万円で、バイク急便では2007年3月期中にこの事業だけで1億円の売上を見込んでいるそうです。(ちなみに平均利用額が12万円だとした場合約833回のご利用が必要となる計算です。)ビジネスのアイデア的には非常に面白いと思います。現にバイトで運び屋という仕事があることもバンコクに居たときに聞いたことはありました。実際やってる人(バンコク発ヨーロッパ便)とも話しましたが仕事の依頼者やシステム等はお聞きする事ができませんでした。最後は上海の旅の写真で〆ておきますね。



そう、人に愛されることってとっても幸せな事なんだと思う。大抵の人なら自分を好きだと言ってくれる人に対して嫌な気持ちは抱かないと思う。例外なくぼくもそうだ。けど、それだけじゃうまくいかないのが恋であって、こればっかりは理屈とかそんなんじゃなく2人の気持ちがどうであるかに関わってくるもの。一緒に居れて楽しければいいやという恋愛をする歳は僕自身過ぎてしまったのかもしれない。いや、ぼくのなかでは写真の彼女に背を向かれたときから恋ができないmindになってしまったのかもしれない。あいつが戻ってこれる自分でありたい、こう思いつつ早半年が過ぎた。
あいつの病気のせいで日本に来る可能性はほとんどなくなってしまった。6ヶ月という治療期間を待てば別れてから1年が過ぎる計算だ。距離が2人を引き離し、今度は病が2人を引き離していった。もうすぐぼくらが出会って4年が経とうとしている。
こんなに辛い恋愛になるとは思わなかったけど、こんなに幸せな恋愛になるとも思わなかった。でもぼくは信じてる。06年になってあいつが初めて口にした『結果的にはよーすけを選ぶ』との言葉。電話の声を聞くたびに、いつか笑顔でこっち向いてくれるのをいつまでも待っていられる気がしてくるんだ。かわいい顔した小悪魔なやつだけどさ。 It's a reason why I'm so addicted to You...

今週末は体調不良で寝てました。頭痛、熱、吐き気の3点セット。なんか食べ物があたったのかもしれません。 夜中吐き気で起きるなんて初めての体験でした。
汚い話ですいません。。
そういえば去年の11月、中東を旅してるときも風邪を引いてノドが切れるような痛みを抱えつつ旅してたことを思い出しました。体調不良をおして歩いてた街並みが上の写真@ヨルダンのアンマンでした。

今週、留学時代の親友2人がバンコク入りした。留学時代の友達はバンコクリピーターが多くてこの2月3月は同期や後輩が続々バンコクINする予定です。まるで正月恒例芸能人のハワイ入りのように。
そしてぼくはといえばG.W.まで3連休すらない日程で、気持ちだけバンコクへ。
今日久しぶり(っても1週間ぶり)にオーに電話をしてみました。20分くらい話したら、早くも今月3日目にして無料通話分が消えました。。。電話の20分で3000円近くも持ってかれるなら飛んじゃったほうがほんと価値的だと思います。ただ、先日旅行会社に「バンコク往復1泊2日で取れますか?」と聞いたら『お客様、1泊2日はあいにくございません。普通料金でしたら取れますが・・』と言われてしまいました。これでも行く気満々だったのにー!!結局気持ちだけバンコクに送るというかバンコクに居る方に電話で伝えておきました。バンコクは楽しいところだよね~ 早く行きたいな~
大阪に来て研修期間の3分の1が過ぎました。毎朝5分も掛からない駅への道を歩いていると、決まって前方から低空飛行のJALが頭上を通り過ぎていきます。ぼくも毎朝定刻ならばこのJALも定刻です。が、今日の電車は遅れ気味でした。。さて、今日仕事終わりに床屋へ行ってきまして留学中にボウズにしたとき以来のバリカンなるもので髪を切ってもらってきました。イスに腰掛け3分程だったでしょうか、一番最初にバリカンの刃を入れられた時でしたかね「あっ!マズぃ!!」と思ったのは。もうそう思ったときには時すでに遅し、ぼくの描いてた髪形はもろくも崩れ去っていきました。それからは「まあいっか生えてくるし」とすぐに持ち前のプラス思考、顔そりもやってもらってシャンプーもしてもらって仕上げをしてもらうときでした。『なにか整髪料はつけますか?』との問いにすらっとぼくの口から出たのは「JALで。」・・・となりのお客さん笑ってました。ぼくもわざとじゃなかったので慌ててジェルと言い直し、その後込み上げてくる笑いをかみ殺してはにやけ笑いを浮かべてました。
Blog筆者・よーすけの 「アジアを語る」:
題から硬いけどぼくが毎日読んでいる新聞は日本経済新聞と日刊工業新聞です。個人的に最近は後者の日刊工業新聞が好きで、仕事柄業界にも興味があるのですが、毎日のように日本企業のアジア進出(最近はタイがほんと多い!)のニュースや新規設備投資・新工場・営業所立ち上げなどという文字が紙面を飾るのを見ながら、これから勝負することになるアジア市場に胸を膨らませるのです。
そんななか、昨日の日経新聞夕刊でタイの投資に関する特集記事が載ってまして、ちょっと目からうろこ的な記事があったので紹介したいと思います。タイは国を挙げて物流インフラに力を入れているわけですが、BOI(Thai Board of Investment)・タイ投資委員会の長官がこんなことを述べていました。「タイから夜行便で製品を積み出せば、早朝に日本だ。午後には市場に配達できる。実際に多くの日本企業が実践している。例えば眼鏡レンズ。日本で顧客が店頭で視力を測り、注文する。ただちに注文した度数のレンズがタイから日本に届く」と。ある程度ストックを持っての対応だとはしても、眼鏡業界まで海外調達のprofitを最大限に有効活用していることに正直驚かされました。ただ、日本企業の海外進出が進む一方で、海外生産のメリットを活かすことができず、結果的に多くの企業が海外展開する際の目的である『profit』を日本に持ってこれずに撤退する企業があることも事実です。(逆にこういったニュースはほとんど新聞に挙がってきません) よく聞くのは中国・韓国。
そしてタイの話に戻りますが、タイのインフラ整備は徐々に整いつつありメコン川流域開発計画(GMS)*1や現在建設中のスワンナプーム国際空港が今年開港予定、タイ最大のレムチャバン港や北は中国・東はベトナム・西はミャンマー・南はシンガポールへと繋がる陸路*2(ベトナム-ミャンマー間は東西経済回廊)での大物流網が出来上がれば、陸海空を網羅したタイの物流ロジスティックスが完成の暁をみるのです! ね、アジア、いや、タイってほんと魅力的な市場でしょ?!
*1:中国(雲南省)、タイ、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマーのメコン川流域6カ国によるメコン川流域の開発計画をメコン川流域開発計画(GMS) と言います。
*2:このASEAN・東南アジアルートを広く捉えた場合、西はヨーロッパや中東からモノ(中東からは原油)が運ばれ東南アジアを通って極東の日本や消費大国・中国(特に沿岸地域)に物が運ばれると表現されるときもあります。ただこの考えでぼくがほんとすごいと思うのは、この巨大インフラ整備の理由がインドネシアとマレーシアを隔てるマラッカ海峡通過を回避するためということ。海賊被害回避って・・・
やっぱりアジアは勉強すればするほど面白い!!

先日大学の親友クララと大阪の通天閣周辺を散策してきました。下町の雰囲気満点の街並み(通称・新世界)は興味深く、こちらで名物の串カツ屋さんで下町を堪能、下の写真のスマートボール屋さんでは昭和を感じ、近くでジェットコースターまで乗ってきちゃいました。最後にcafeで語り合って解散。
すごく楽しいひとときでした。
俺にはどうすることもできない。結局ぼくは日本に居る事を選んだのだから。大事なひとが苦しんでいるときにそばに居てあげられなくてなにが恋だ、なにが愛だ。俺って人間は小さいくせに言う事ばかりでかくて行動が伴っていないただの子供みたいなやつで、そこに通知表があればとっくに赤色で1と返ってきていることだろう。そしてこんなことはblogに書くことではないかもしれないけど、ぼくは動揺を隠し切れないでいる。。元カノのオーのことだ。もはや胸を痛める相手ではないのかもしれない。ただ、まだぼくはあいつが好きで、あいつが苦しんでたら同じようにぼくも苦しい気持ちになる。。「心配しないで」と言いながら咳き込むあいつの声が痛かった。ぼくは「そばに居たいよ・・・」としかいえなかった。そして自分の無力さを心から恨んだ。
ぼくがベトナム・カンボジアを旅中にオーの体調不良の知らせを聞いてプノンペンからバンコクへと急いで向かったのがもう2年前。その2年間のあいだ、あいつの肺の中で息を潜めてた菌があいつの体を徐々にむしばんでいたらしい。あいつにとって俺は別れたただの元彼だし、遠くにいるのだから一層のことすべてを内緒にしてくれてれば"あいつの優しさ"となってたかもしれない。けど「Don't worry...」の題で始まるあいつのメールと今日の電話の声は間違えなくぼくを心配させるのに十分過ぎるものだった。昔の事をよく知ってるのは今のあいつの彼ではなくこの俺なんだってフラれた男のひがみがぼくの心の中に残っていて、blogでこんなの書くのはかっこ悪いけど、もし世の中でたったひとり、ぼくを必要としてくれる人があいつであればぼくはもうほかには何も要らないから。今の彼じゃなくてぼくを必要として欲しい。

写真の建物はバンコクにあるフアランポーン駅です。そして今日電車の中で読んだタイ語の参考書に「หัวล้าน-hua laan」というタイ語があり、意味は「はげ頭」でした。ぼくはこの単語を一瞬で覚えました。フアランポーン駅を思い出しながら「ポーンさんははげ頭」と頭にインプット。
もうひとつ「注射」という意味の「ฉีดยา-chiit yaa」というタイ語があったのですが、こっちは「注射ちーっとや(嫌)」と覚えました。
1日2語じゃ2000語覚えるのは何年後??俺はどこで何をしているのかな??